諜報員・暗殺者(アサシン)
貿易都市「スタルテ」に送り込まれた某国の諜報員・兼暗殺者。
普段は交易商人を装って潜入捜査中。
様々な国から人々が集まる「スタルテ」は情報収集に便利なようだが..彼が派遣された目的とは?
貿易都市「スタルテ」はこちら↓
https://gaban-no-e.blogspot.com/2024/03/blog-post.html
以下、諜報員・暗殺者(アサシン)の歴史メモ
「諜報員の歴史」
古くは紀元前1274年頃にエジプトとヒッタイトの間で起こった「カデシュの戦い」において、エジプト軍に捕虜を使って虚偽の情報を流したヒッタイトの諜報活動が史実上では最古の記録らしい。
(※個人的にはもっと古い歴史があると思う)
それ以外でも史実ではありませんが、ギリシャ神話の「トロイの木馬」や、旧約聖書「民数記」13章にカナンの地(現在のイスラエルとパレスチナ地域あたり)へ12人の偵察隊を送った記述などがある。
紀元前500年頃の兵法書「孫子」にも偵察に関して詳しく記述された章がある。
日本では忍者が諜報員の歴史としてはよく知られおり、聖徳太子も“忍び”を側近に置いていたそう。
歴史的には最近の部類ですが、東京の半蔵門も忍者関係の地名ですね。
統治者、権力者の影には常に諜報員や諜報機関が深く関係していた事でしょう。
「暗殺者(アサシン)」
暗殺者(アサシン)の呼び名の由来になったのはアラブの宗教集団一派が「ハシーシュ(麻薬)」を使用して暗殺を行っていたという伝説から、その集団をアラブ語で「ハシシーン」→英語「アサシン」と呼ばれるようになったそう。
ただ、この呼び名に至った経緯はあくまで伝説上の解釈からそういう流れになった経緯があるようで、正しいかどうかは諸説あるそうですので、一派の名称はここでは控えさせて頂きます。
この件は非常に厄介で詳細は参考リンクに託しますが、要約すると元になった文献が上記の反一派によるもので、海外ではその文献が書かれた背景を検証しないまま、上記の解釈とヨーロッパに伝わっていた伝説とが融合し「アサシン」という言葉が定着してしまったという感じです。
それはさておき、今回の件とは関係ないですが上記の歴史を読んでいて思い出したのが、「海賊」を追った取材の海外ドキュメンタリー番組で海賊の一員がドラッグを混ぜた酒を悪霊除けとして飲酒してるシーンがあった事を思い出しました。
上記の宗教集団一派の件の真偽はさておき、命のやり取りをするような極限の緊張状態において組織を維持する手法としては、昔から同じ事が繰り返されていたのではないかと思うと、歴史って本質的には進化ではなくループしているだけのような気がするのでした…
以下、参考にさせて頂いたWebページです。
・アサシン - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%B7%E3%83%B3
・暗殺教団 - Wikipedia
・実在した忍者「海外の忍者(諜報員)」
https://www.touken-world.jp/tips/52427/
・諜報機関 - 新書マップ
・アサシンとは「山の老人」に由来…現代のテロリストとの違い